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ゆとりはアホと言う奴はゆとりよりアホ

こんにちは。おぱんつemperorです。私はゆとり世代の人間です。
先日バイト先の上司に「ゆとりはどうのこうの」と言われました。

ゆとりである私はその上司に腹が立ちましたのでいろいろ言い返しました。

 私ゆとり教育あんまり受けてないんですけどね!
家出とか登校拒否とかで忙しかったんで。

むしろゆとり全然ないわ。

 

 

えっとえと、ゆとり教育という政策を実施した政治家を選んだのは、その時に選挙権を持っていた人たちですよね。

そしてそれはゆとり世代よりも上の世代の人々ですよね。
これってえ、つまりぃ、「私がゆとりである」ということの責任は私よりも、上の世代の人々の責任のほうが大きいのではないでしょうか!?

あれれ?ぽよよ?

 

「私がゆとりであるがゆえに○○である責任」は私にあるかもしれませんが、
「私がゆとりである責任」は私じゃなくてゆとりより上の世代の責任なのではないでしょうか。


ちなみにゆとりがいつ始まったのかについては諸説あるのですが、
一番近年の2002年から開始ということにしておきましょう。
すると34歳以上の人が「ゆとり教育が始まったころに選挙権を持ってた人」になります。

 

ゆとりゆとり言ってきて腹の立つやつがいたらぜひ「え?その頃選挙権もってたんですよね?あれれれれ?」って言ってやろうな!

 


(もちろん、どんな教育を受けたとしても、自分でちゃんとした人間になるための努力はしたほうがいいです。
小さいころ私が泣いていると、「うるさい!泣いてると近所の××ちゃん(アトピーがある)みたいな汚い肌になるよ!」と言ってくるとんでもない親に育てられましたが、私はまあまあの人間に育ちました。自分の努力で。

あがめたてまつってくれてもいいのですよ。)

 


つまり「あなたは○○だから改善してくれ」という言葉の代わりに「ゆとりは○○」という言葉を使った瞬間、
「私がゆとりなのは私のせいじゃないのになんで責められなければいけないんだ」
という反発が生まれてしまいます。

 

しかも「ゆとり世代は」などと言うと、「いろんな人がいるのに『ゆとり』とひとまとめにするな」という反発を生みます。


このように「ゆとりは○○」という言葉は、たくさん反発を生んでしまうのです。

 

反発を生んでしまえば、「私が○○だという問題について考えよう。反省」という考えが出てくる代わりに
「ゆとりゆとり言いがって、このビチクソが!団塊ジュニアちょびひげヤンキーが!団塊っぽいサイズの腹肉しやがって!」という感情が出てきてしまうのです。


ただでさえ自分の問題点を認めて反省するのって難しいことじゃないですか。
反省とかするより「こいつゆとりって言った。こいつあほ」って怒るほうがらくなんですよ、私としても。

 

 

 

さらに、○○という問題が自分の責任で起きたものではなくてゆとりという自分の属性で発生したと思うと、
「自分の力でなんとかしよう」という気持ちが弱まってしまいます。
ゆとりという属性は変えることができないからです。

 

 

「ゆとりだから○○」と言うよりも「あなたは○○」と言うほうが、きちんと○○という問題について改善する可能性が高いのです。(当たり前ですねすみません!)

 

 

こうして私がいろいろと説明したところ上司(ちょびひげ腹肉おばけ)は黙ってしまったのでした。

とはいえ、こうして上司に向かって言いたいことをどんどん言ってしまうあたりがとても「ゆとり」なのかもしれませんね!

 

ではまたおまた。