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読むだけで国際貢献「子供から買わないという教育支援」

こんにちは。世界平和を目指す大学生、おぱんつemperorです。

今日は教育支援の話をします。私立中学校を退学になった私がちゃんちゃらおかしいですね!

ちなみに転入した公立中学では戦略的撤退(登校拒否)してました。

でも言わせてもらうぜ。ちゃんちゃら。

 さて、ちきりんさん(ブロガー)がかかれたこちらの記事なのですが

子供からおみやげを買わないという教育支援 - Chikirinの日記

ちきりんさんがラオスに行って見聞きしたことについて書いてあります。

内容を要約すると

1 発展途上国で作っている伝統的なものを、先進国でも売れるようなデザインにして値段を高くしても売ることができるようにするとより稼ぐことができる。


2 観光客向けのおみやげを子供が売っていても、買ってはいけない
おみやげ物が売れると、お金を払って学校に行くよりも稼いだほうが良いと思ってしまうから。つまり子供にお金を渡さないことが教育支援になる。


3 物乞いの子供にお金を渡してはいけない。彼らは本当に困っているのではなく隙間時間に小遣い稼ぎのようにやっているだけである。

(この記事を書かれたちきりんさんは「自分のアタマで考えよう」というタイトルの本を出版されています。)

私は2と3についてとても疑問があります。

 

そもそも、その地域に学校がないと通えません。

発展途上国にはそもそも学校がない、

学校があっても小学校2、3年分のカリキュラムしかないなどという状態が多々あります。

それならば子供がおみやげを売ることは現実的で合理的な判断です。

 


子供にお金を渡さなかったらどうなるのでしょうか。

たしかに、もし家庭にお金があればその子は学校に通えるかもしれません。
しかし、どの家庭でもそうでしょうか?
どの国でもそうでしょうか?


子供が学校に行きながら働いて、自分で学費などを払っていた場合はどうなるでしょうか。

自分で稼げなければ学校をやめるしかありません。

もしその子供の家族がいつもぎりぎりで生計を立てているのだとしたら、子供がお金がもらえなければ飢えることになります。
あるいは、子供はおみやげ売りや物乞いではなく、体を売ることになります。
発展途上国では生活苦により女の子でも男の子でも「売っている」場合があります。特に難民の子供は子供は物乞いか体を売る以外に稼ぐ手段がない場合もあります。)

物乞いの子供はマフィアに支配されている場合があり、お金を集められなければ同情を引く見た目にするために手足を切り落とされたりします。

それでもお金が集められなければ物乞いより儲かること、例えば殺されて臓器を売られます。

(この場合子供にお金を渡す渡さないを考えるよりマフィアから子供を救出するNPOなどを探してお金を渡す方が建設的かもしれません)


ちなみに私は小さいころ「1000円あげるよ」って言いながら執拗に話しかけてくる距離感が近いおじさんにあったことがあります。
(幸い私は彼を無視して、なにもされることはありませんでした。)
でも彼が私にしようとしていたであろうことを考えると3万くらいじゃないとわりに合わないと思います。許せねえ…。

 

ラオスは確かに餓死する人がほとんどいないような国です。
でもほかの国を見渡せばそういう国ばかりではありません。
世界では毎日4万人餓死しています。

毎年4万人ではなく毎日4万人です。


子供にお金をわたさない、児童労働が関係したものを買わないことが教育支援になるためにはこの下の条件がすべてそろっている必要があります。

・子供が稼がなくても親の稼ぎでなんとか家族が暮らせるだけのお金がある
・さらに学校に行くお金も捻出できる
・そもそも通える距離に学校がある
・親が子供を学校に通わせることの利益を理解している
・学校を卒業すれば、条件がいい会社に就職できる
(まだ十分に仕事がない国では、給料が高い仕事が少ないです。学校を卒業しても技能を生かす場がないなら学費を払う意味が薄れてしまいます。)


ちきりんさんの記事はこのような条件に触れておらず、ただただ「お金をわたさない」ということが書かれています。

少し調べることもほかの場面で通用するかも考えずガイドさんの受け売りをただ書き並べただけ。

 

さて、ちきりんさんのこの記事はfacebookで1000回ほどシェアされています。
なぜこの記事がこんなにも拡散されたのかというと、

1 子供にお金を渡さないことが本当に教育支援になるのだと思ってしまったから。

2 子供にお金を渡さないだけで「教育支援をしたような良い気分」になれるうえ、なんの犠牲も払う必要もない簡単な方法だったから。

しかも日常のなかで直接子供にお金を渡す場面はないので、読んだ人はなにもしなくても自動的に教育支援したことになるから。

3 子供にお金を渡さない→子供が学校に行ける、という単純で救いようのある話だったから。

4 facebookに生息する意識高い系の人にぴったりの話題だったから。

あと本も出してる有名ブロガーのちきりんさんが言うことだったら何でもありがたがる人が一定数いるから。

 

ではないでしょうか。

私の記事だってfacebookで1万回シェアされるべきだと思うのですが。

 

 

では結局、どんな行動をすれば状況がよくなるのでしょうか。

それはあなたが発展途上国で誰かにお金を渡したいと思った時に、
その地域の貧困の状況やその人のかっこうや、もし話を聞くことができるなら話を聞いて、
お金を渡すかどうか決めることです。

もしかしたらその判断は間違っているかもしれないけれどそうするしかないです。


どの場所でもある程度有効な手段は、まともなNPOなどにお金を渡すくらいです。
その地域の人々の生活や教育にかかわるきちんとした団体に支払うということです。
(まともなNPOを見つけることも至難の業ですが)

 

社会の多くの問題はさまざまな原因が絡まりあって起きているので、それらすべての原因に同時に取り組まなければ解決しないかもしれません。

簡単な解決策があることはほとんどありません。
最悪の場合、「実現不可能なくらいのお金を投資して大きなリスクがあるような解決策しかない」ことだってあります。

 

みんな深刻な話は聞きたくないのです。
そんな難しい問題を考えたり、そんな救いようない悲しい話を聞くくらいなら、簡単な答えをうのみにするほうが楽です。
場合によっては悪影響さえあるけど、シンプルでお手軽で気持ち良くなれる記事を読んでいるほうが、ずっとらくちんです。


(こういうニーズに応えるために私のブログの大半は気軽な解決策をたくさん知らせていく予定です。

私のブログは「知能が2でもらくらく読める」がコンセプトの優しい真綿のようなブログです。

この真綿でお前の首をちょっとずつ絞めてお前自身も気づかない間に世界平和活動をやらせるぞ。)

 


おそらくこの記事はほとんどシェアされることはないでしょう。
私がいつも書いている「大学にダンボールハウス建ててホームレス生活しました」みたいな話じゃないからです。

わかりやすい救いようのある、手軽にいいことをした気分になれる話ではないからです。

世界が平和になる答えは見つからないかもしれなくて、私たちにできることなんて何もない時がたくさんあるってことだからです。
こんな話を読んで気持ちよくなれる人はいないからです。

 

でも簡単に気持ちよくなって自分のアタマで考えることをやめないでください。
考えたら何とかなる時は確かにありますが、簡単な答えをうのみにしていたら絶対なんともならないからです。

 

ではまたおまた。

 

 

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「大学にダンボールハウス建ててホームレス生活した」↓

http://www.opantuemperor.net/entry/2016/04/19/161853